フデの日記帳

youtube大好き!筆跡鑑定人、筆跡アドバイザーもやってます。  なんてことのない日常生活や思ったこと、感じたことをそのままつぶやきます。 youtubeチャンネルあります^^

カテゴリ: youtube見聞録

界隈について自分なりの答えが出た以上

あれこれ書くことはもうないだろうと…そう思っていたのですが。

先のことは分からないですね

 

界隈民は戦闘民族なので争いが大好きです

問題解決のために争っているというよりも、

争いたいから争っています、(これは言い切っちゃってよいと思うのです)

相も変わらず、毎日飽きずに

争いごとに首を突っ込んでいる界隈民(もちろん自分も!)ですが、

自分はそれがくだらないことだとは思いません

有意義なことだけが人間の活動ではないからです、

一見くだらなくみえることの一部も人間の本能であり

健全な精神活動にはそれも必要だと思っているからです

 

そこには自分を見つめるヒントがゴロゴロ転がっています。

目をそむけたくなるような感情的なやり取り、

人を誹謗中傷する心無い言葉などを、

自分に関係ないものと切り捨てるのは危険です

人間には欲求と本能があり、

それは時と場合、出し方でコントロールしていくものですので

善悪で判断できるものではありません

その中には支配欲求、攻撃欲求、反撃欲求、自己顕示欲求、承認欲求などがあり、
出方の強さによっては

他者へのいじめやネットリンチになりえる感情をはらんでいます

それらを自分の中に備わっているものとして意識し、自覚することが、

他人への思いやりをはぐくみ、

自分の視点を柔軟にすることに関係すると考えるからです

とはいえ、全く価値観が異なる部屋に入る必要はありませんが(棲み分け)

 

また界隈民の中には、界隈そのものや争いごとのパターンに対して

「自分は違う、自分は特別」と思っている人が一定数いるのも事実です

自分も界隈民の一員なのにそれに気付かない、

でもそれも含めて界隈の姿なのだと思うのです

清濁併せた空間を(果たして清い部分はあるのだろうか…?)受け入れたうえで、

自分の価値観と好き嫌いをもとに活動したいところです

 

謎だらけのネットでの人間関係では

何かの分野で意見が合った、価値観が似ていたとしても

それは単なるBEN図の共通部分であって、

それぞれの経験が作る考え方の違いは確実に存在します。

ただ距離感がなくなると、

自分の考えや視点を押し付けるつもりはなくても

お互いの考え方、好き嫌いを共有することが、

お互いに対してふんわりと圧力や制限を感じさせるのも事実です

とはいえ、界隈の中にいて好き嫌いや対立を避けることはできないので

ここらへんは相手への信頼度で、いい関係を築けたり

さらに争いやもやもやの火種になったりすることも否めません

個人的には、楽しみでやっている趣味の活動に

息苦しさを感じることも感じさせる必要もないと思います

自分ならだれがだれと仲良くしようとその人を信じ、言及しないでしょう

適度な距離感を保つことで、健全な人間関係は築けると思います
図表1
 

前回の続きです

みな【知りたい】欲求から暴露系もしくは対談系配信を視聴するわけです

ではそこに真実はあるのかについて、もう少し掘り下げてみます

 

そこでは出来事の時系列は明らかになると思いますが、

真実に突き当たるわけではないのです

なぜなら、配信者や対談者の主観が少なからず入るからです

配信者が、いかに第三者的の立場で事実に基づいて話したとしても

「てにをは」の使い方ひとつひとつにしても

その人の価値観の上で組み立てられた話になるわけですから

主観が入らないほうがおかしいわけです

 

ではそこでの話は真実と言えないのであれば間違いなのか、という事ですが

間違いではなく配信者にとってはそれが真実なわけです

ここが勘違いポイントなのですが、

その人にとっての真実は、他人にとっても真実であるとはいいきれないのです

もちろん、価値観が似ていれば賛同する場面はあるとは思いますが

あくまでもそれぞれの価値観というフィルターを通して

物事を見て判断しているわけですから

配信者にとっては真実であるのは間違いないのだけれど

見る視点や価値観の違う人が出来事をインプットすると

それは別のものとしてアウトプットされなければおかしいでしょう

重ね合わせてぴったり同じ人間なんて存在しないのですから

 

では、時系列に沿って説明したとします、

それは、いつ、だれが何をした、という点では事実なのかもしれませんが

それぞれがインプットした時点で

その人の解釈が入り込んでしまいます

同じ材料でカレーを作っても

全く同じ味にならないように

起こった出来事を丁寧に説明したところで

「同じ味」にはならないのです

 

コナン君は「真実はいつも一つ!」と言っていますが

真実なんて人の数だけあるのです

現実だって、事実だってそうです

よく言われる「コップに入った半分の水」を

「もう半分しかない」と捉えるのか

「まだ半分もある!」と捉えるのか、そういった話です

 

「そのとおり!」と思ったとしても

「その通り」の度合いにだってズレはあるのですから。

 

フデは、ジャッジを人任せにしてはいけない、と言いたい

話の時系列や配信者の価値観は十分参考にしたとしても

人や出来事に対しての評価は

自分の価値観を通して自分なりの事実を掴まなければ

いつまでたっても配信者の考えや意見に左右され続ける

配信者ジプシーになってしまいます

スムーズに自分の真実にたどり着くためにも

配信者の価値観を見極め、それはそれで尊重することはもちろん、

その前に自分の価値観を構築しない事には

真実にたどりつくことはできないと思うのです

YouTubeのライブ配信に何を求めるかですが
シンプルに【人恋しさ】【楽しさ】でしょう
聴いていて面白く楽しい配信は自分のテンションアップになります

一方、暴露や悪口配信に人が集まるのも事実
フデも気になるものは見ます
結局、綺麗事をいっても
心の底には人知れず闇を持っているもの
人間には程度の差はあれどそんな部分があるのもまた現実
そこを踏まえながらふと思うのです
では、そのような配信に集まる人は
みな人間関係のグチャグチャを見るのが好きなのでしょうか
フデは皆ではないと思うのです

そもそも人には【知りたい】欲求があります
もちろん、野次馬的な興味本位もあれば
実際に自分が絡んでいる場合もあるでしょう
その事柄がどうなっているのか、
なんでそうなってしまったのか、
その裏側を少しでも知りたい、
声を出さずにいる人たちの中には
そんな思いの人もいると思うのです

同じ暴露系テーマであっても配信者の考え方によって着地点は違います
その着地点でリスナーはどの配信者のチャンネルに行くか決めるのでしょう
ただ、そこでの情報が正しいかどうか
それはまた別問題
そこには多分真実はないはず
たとえ善意であったとしても
何人もの主観が散りばめられている以上、
そこで真実を追求することは永遠の旅になると思うのです
同じ理由で、その土俵で正邪の決着をつけるのも永遠の旅となるでしょう

真実は自分の心の中に留めて
気持ちに余裕を持ち、気持ちを引きずられないことがベースになっていれば
仮に楽しい内容から離れていたとしても
どんな配信からでも【学び】はあると思うのです



 

複垢って別に悪いことでもなんでもないんだけど
使い方によっては
自分がバツの悪い思いや後味の悪い思いをすることになります

ネットの書き込みを見ていると
どんな時も本垢で堂々と出てくる人、
一体いくつ複垢があるのかわからない人、
もちろんわかっている上でエンタメとしてわざと使う人もいますし…
ほんとに人それぞれです
まあ、複垢を使おうがどうしようが
その人の考え方なので【良い悪い】でくくるものではありません
フデも仕事上とプライベートで複垢を使い分けています
それは隠す目的では無く、あくまでも住み分け、効率の問題ですので
同一人が両方のアカウントを使っていることを知られても全く問題ありません

そもそものフデの考えは
【誰だかわからない状態での発言】自体、無責任だと思っています
物陰から石を投げるための複垢の使い方は論外です

それなのに今回フデは複垢の使い方を曖昧にしてしまったので
とてもとても後味の悪い思いをしてしまいました 

これはあくまでも個人的な考えなので
他の人のことを言っているわけではありません 

フデ自身後ろめたい気持ちが生まれ、どんどんモヤモヤが大きくなってしまい
早く楽になりたいと思っていたんですね
たいした理由じゃないのに複垢なんて使うんじゃなかったと…

求めるものは救われるじゃないけど、
そのときちょうどよく自白のタイミングがやってきたのです
これ逃しちゃ終わる、
で、スッキリできました

結局、複垢の使い方にルールを決めていたのに
自分がそれを破ることをしていたので心が苦しくなったんですね
そんな細かいことと思う人もいるでしょうが
自分に嘘をつくことは物事の大小ではないんですね
実際にこんな思いをするなんて想像以上でした
周りにどう思われるかよりも
自分に嘘をつくほうがつらいですね!


 

特定の人のために力を尽くす
一生懸命皆で応援する
お膳立てしてあげる
なだめたりすかしたりと至れり尽くせり
皮肉にも力を尽くせば尽くすほどその人をダメにしてしまう事だってある
地獄への道は善意で敷きつめられていると聞いたことがあります

自分の人生は自身で道を踏み固めながら
切り開いていくからこそ自力がつく
理解している人は厳しさを知れば知るほど謙虚になります

それを勘違いしてしまうと
苦言を呈してくれる人の意見を遠ざけてしまう
いつまでたっても同じ風景のまま
まるで環状線
周りに助けてくれる人がいるうちはいい
でも一人になったらどうする?
常にそれを想像しながら自力を蓄える人
そんなことあるわけない、自分ならなんとかなる
根拠のない空想と現実の区別がつかない人

まあ、それも自分で選んだ人生なのでしょう
後悔しない人生は素晴らしい
でも自由のある人生はもっと素晴らしい 
 

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